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Vol.05 角南 皓 先生

「サブカル」系日本語教員

Interview : 2019/03/16 11:00~

現在の在籍機関:

 <日本国外>日本語学校(非常勤)

日本語教育歴:

 6年9か月

日本語教員資格:

 養成講座420時間受講

過去の在籍機関:

 <日本国外>日本語学校(常勤・非常勤)

Q 1:日本語教員を志すきっかけは何でしたか

海外で生活したかった。また、日本人として日本と海外を繋ぐ仕事をしてみたかった。


Q 2:日本語教員としての初めての職場を選んだきっかけは何でしたか。

そこが最初に決まったから。

Q 3:初めて仕事として日本語を教えた日について教えてください。

中国に赴任し、上海で研修中に実際の授業を行いました。担当官が横で見ている中、やや緊張気味だったと思います。あとで結構ダメ出しをくらいました。


Q 4:日本語教員として今までで一番やりがいを感じた出来事は何でしたか。

どれが一番ということもなく、日々のクラスにおける学習者の笑顔、また理解できたときの表情やリアクションを見られることにやりがいを感じます。

Q 5:日本語教員として今までで一番の失敗は何でしたか。

あまり失敗を失敗と感じ無いタイプなので、何とも言えませんが… 強いて言えば学校と自身との方向性の違いで摩擦が起きたことです。

Q 6:日本語教員としてのあなたにとって、誰との出会いが一番大きかったですか。その人との出会いについて聞かせてください。

養成講座でお世話になった小林先生、日本語教育に対する信念に惹かれました。また、そこに集まった仲間も素晴らしかったです。


Q 7:日本語教員を辞めようと思ったことはありますか。あるとすれば、そのきっかけは何でしたか。

なし


Q 8:日本語教員として職場を替えたことがある場合、今の職場に転職しようと思ったきっかけは何でしたか。

日本語教師になると決めた時点で、文化の違う海外3カ国に住むと決めていました。そして、3カ国目は絶対にラテン系の国にするつもりでした。


Q 9:日本語教員として最近成長を感じたできごとは何でしたか。

具体的なできごとはありませんが、「謙虚さ」をおぼえました。


Q10:日本語教員として最近未熟さを感じたできごとは何でしたか。

シンポジウムで他校の日本語教師や大学の教授などと話す機会がありました。日本語教育や日本語そのものに対する知識、また姿勢や情熱が自分の遥か先のレベルにあると感じました。

Vol.04 堀部 真実 先生

​「よじ登り」系日本語教員

Interview : 2019/03/09 19:00~

現在の在籍機関:

 【日本国内】日本語学校(非常勤)

                             民間養成講座(非常勤)

日本語教育歴:

 7年

日本語教員資格:

 養成講座420時間受講

 教育能力検定試験合格

過去の在籍機関:

 【日本国内】日本語学校(常勤・非常勤)

Q 1:日本語教員を志すきっかけは何でしたか

留学した際に外国語を学ぶ楽しさを知り、同じ経験を多くの人にしてもらいたいと思ったからです。また、海外でも活躍できる職種ということで、留学した国に戻って日本語を教えたいとも考えていました。


Q 2:日本語教員としての初めての職場を選んだきっかけは何でしたか。

私の学歴と資格で履歴書が出せる日本語学校を探しました。

Q 3:初めて仕事として日本語を教えた日について教えてください。

震災の影響もあり、学生は一人だけでした。教壇に立ったときは緊張しながらも、学生が楽しいと思ってくれたかどうかが一番気になっていたような気がします。


Q 4:日本語教員として今までで一番やりがいを感じた出来事は何でしたか。

クラス全員が楽しそうに勉強して、笑顔で帰って行ったこと。勉強を楽しみながらしている学生の姿を見れたときは、本当にうれしかったし、今もそのときの気持ちを覚えています。

Q 5:日本語教員として今までで一番の失敗は何でしたか。

日本語教員になりたてのころ、日本に来る留学生は勉強のために日本に来ると思っていたことです。金銭的なことを含め留学生の背景について勉強不足だったので、今振り返ると何気ない一言で学習者を傷つけてしまったことが多々あったと思います。

Q 6:日本語教員としてのあなたにとって、誰との出会いが一番大きかったですか。その人との出会いについて聞かせてください。

現在通っている通信制大学の先生との出会いです。勉強することや学校に通うことをおもしろいと感じさせてくださいました。教壇に立つ者として、自分の授業を根底から見直すとてもいい機会になりました。


Q 7:日本語教員を辞めようと思ったことはありますか。あるとすれば、そのきっかけは何でしたか。

あります。現在、日本に暮らす日本語を母語としない児童の支援に関心があります。日本語を教える以外に、彼らと地域を結びつけるような仕事で支援できないかと考えています。


Q 8:日本語教員として職場を替えたことがある場合、今の職場に転職しようと思ったきっかけは何でしたか。

個養成講座でお世話になった先生にご紹介いただきました。それ以外の職場は、経験を積むことにより応募できる職場が増えたので、できるだけフィールドの違う場所で教えるようにしています。


Q 9:日本語教員として最近成長を感じたできごとは何でしたか。

日本語教育に関することでやってみたいと思えることが増えたこと、それから、養成講座で教えられるようになったことです。


Q10:日本語教員として最近未熟さを感じたできごとは何でしたか。

自分が望む授業ができていないことです。非常勤という立場上、学校の方針に沿って授業を行わなければならないのですが、それが学生のためになっていないのではないかと感じています。

Vol.03 松本 励 先生

​「雑食」系日本語教員

Interview : 2019/03/02 19:00~

現在の在籍機関:

 【日本国内】個人事業で教室運営

       専門学校

       日本語教員養成研修実施機関

       日本語教室

日本語教育歴:

 10年

日本語教員資格:

 養成講座420時間受講

 教育能力検定試験合格

過去の在籍機関:

 【日本国内】日本語学校(常勤・非常勤)

       専門学校(非常勤)

 <日本国外>日本語学校(常勤)

website:

    あすどあ

Q 1:日本語教員を志すきっかけは何でしたか

大学時代に様々な外国語をかじって言葉を学ぶのは面白いと思っていたところ、最もうまく教えることができる言語にできるのは日本語なのではないかと思いついてしまいました。


Q 2:日本語教員としての初めての職場を選んだきっかけは何でしたか。

国内外の目に留まった求人にいくつか応募をして、そのなかで採用されたところに行ったという感じで、ただの偶然でした。

Q 3:初めて仕事として日本語を教えた日について教えてください。

中国の日本語学校での授業が初めでしたが、準備も不十分で手際も悪く、うまくいった部分がほぼ何もない、手応えゼロの授業でした。


Q 4:日本語教員として今までで一番やりがいを感じた出来事は何でしたか。

すべてのことを楽しくやっているので、あまりやりがいに差を感じていませんが、学習者からの感謝の言葉はこれからも頑張ろうという気になります。

Q 5:日本語教員として今までで一番の失敗は何でしたか。

授業の内容にこだわりすぎて、週末も休みなく一日中授業のことを考えないと回らない時期がありました。結果的に体調を崩しましたし、今にして思えばその頃はそのせいで感情のコントロールもうまくできていなかったように思います。

Q 6:日本語教員としてのあなたにとって、誰との出会いが一番大きかったですか。その人との出会いについて聞かせてください。

大きかった出会いは、養成講座の先生、最初の学校の同僚となった妻、前任の日本語学校の主任だった先生の3人です。その中では、日本語教師をやめなかったのは妻との出会いがあったからなので、最も大きいものです。妻の授業を真似して、自分のやりたいことが少しずつできるようになりました。


Q 7:日本語教員を辞めようと思ったことはありますか。あるとすれば、そのきっかけは何でしたか。

最初の中国の日本語学校にいた時には思いました。授業が全くうまくいかず学生からの評価も低かったことで、仕事の中で楽しいことが皆無でした。ただ日々の準備に追われるだけの毎日で、この仕事には向いていないと感じていました。


Q 8:日本語教員として職場を替えたことがある場合、今の職場に転職しようと思ったきっかけは何でしたか。

個人で教室を行っているのは、日本語学校に通っている間の学生との出会いから若い世代の就学支援が必要だと感じたからです。専門学校、養成講座、日本語教室は声をかけていただけて、自分のやりたいこととも一致していたので、その話を受けただけです。


Q 9:日本語教員として最近成長を感じたできごとは何でしたか。

日本語学校時代にはよくありましたが、辞めて以降は成長をあまり感じていません。基本的にダメだと思うことばかりですし、最近は自然体でやっているので、少し気を抜くと下手になった部分を強く感じてしまいます。自然体で気楽にやりつつもある程度できているのが成長と言えるかもしれません。


Q10:日本語教員として最近未熟さを感じたできごとは何でしたか。

学生の発話が想定より少なく、思うように引きつけられなかったと思うと、違う切り口で話をしたほうがよかったかと反省をするし、まだまだだと感じます。

Vol.02 小林 ひとみ 先生

​「ガーデニング」系日本語教員

Interview : 2019/02/23 19:00~

現在の在籍機関:

 <日本国外>日本語補習授業校(非常勤)

                            +印税

日本語教育歴:

 19年1月(うち8ヶ月ブランクあり)

日本語教員資格:

 教育能力検定試験

 学部主専攻

 大学院主専攻

過去の在籍機関

 【日本国内】大学(常勤・非常勤)

       日本語学校(非常勤)

       民間養成講座講師(非常勤)

       日本留学試験専門員(非常勤)

website:

    researchmap

Q 1:日本語教員を志すきっかけは何でしたか

高校2年生の2学期頃、学年集会で進路指導的なものがあった。その当時新しかった職業(インテリアコーディネーター等)の説明を載せたプリントが配られ、最終ページに日本語教師が載っていた。英語コースに所属していてなんとなく将来は英語を使った仕事をするものだろうと思っていたがひねりがないとも思っていて、そのページを見てこれだとひらめいた。(それまでのいろいろな経験がつながった。)


Q 2:日本語教員としての初めての職場を選んだきっかけは何でしたか。

大学院同級生(現役日本語教師)の紹介。

Q 3:初めて仕事として日本語を教えた日について教えてください。

具体的にどうだったかは思い出せませんが、とにかく早く現場に出て経験を積みたかったので、その日が待ち遠しかったように記憶しています。


Q 4:日本語教員として今までで一番やりがいを感じた出来事は何でしたか。

新しいことにチャレンジして、一定の成果が出せたこと。例えば、前職での学科を超えたコラボレーションによる授業活動や新規科目の企画と実施など。

Q 5:日本語教員として今までで一番の失敗は何でしたか。

クラス授業の経験がほとんどなのですが、体調面が優れない時期、クラスマネージメント(チームビルディング等)がいまいちに終わったこと。前職退職直前の学期です。

Q 6:日本語教員としてのあなたにとって、誰との出会いが一番大きかったですか。その人との出会いについて聞かせてください。

同学年の息子さんを持つ母の友人。小学校入学時から息子さんに自宅で英語を教えたいとのことで、息子だけではクラスにならないので私も加わった。言語教育に関してはプロではない人だったが、今思えば適切な内容を適切なタイミングで教えてもらったと思う。何より言葉を学ぶ、パズルのようなおもしろさをその授業で知った。


Q 7:日本語教員を辞めようと思ったことはありますか。あるとすれば、そのきっかけは何でしたか。

ない。


Q 8:日本語教員として職場を替えたことがある場合、今の職場に転職しようと思ったきっかけは何でしたか。

いろいろな職場を経験しましたが、基本的には収入面や社会的評価のより高いポジションにご縁を感じて転職してきた感じです。今現在の職場は、住んでいる地域(エディンバラ)では日本語を教える場の選択肢が限られているので、収入面やポジション的にはかなり妥協しました。


Q 9:日本語教員として最近成長を感じたできごとは何でしたか。

出版社からお声がけをいただけること。


Q10:日本語教員として最近未熟さを感じたできごとは何でしたか。

口頭発表をしたあと、論文につなげられないこと。

Vol.01 加藤 林太郎 先生

​「スキマを埋める」系日本語教員

Interview : 2019/02/16 15:30~

現在の在籍機関:

 【日本国内】大学(常勤)

日本語教育歴:

 11年7か月

日本語教員資格:

 学部主専攻

 大学院主専攻

 教育能力検定試験合格

過去の在籍機関

 【日本国内】日本語学校(常勤)

 <日本国外>大学(常勤)

website, SNS:

    researchmap

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Q 1:日本語教員を志すきっかけは何でしたか

小学校時代にインドネシアに3年間住んでいたこと。将来の仕事=インドネシアに帰る方法だと思っていた。実際に日本語教員という職を知ったのは、ドラマ「ドク」を見て。


Q 2:日本語教員としての初めての職場を選んだきっかけは何でしたか。

何もかもうまくいかなかった(ような気がしていた)留学生活のリベンジとして、海外での仕事を探しているときに、中国の大学に赴任している先輩を学部の先生に紹介してもらった。

Q 3:初めて仕事として日本語を教えた日について教えてください。

中国に着いて学部長に挨拶したときに「じゃあ明日からよろしくお願いします」と言われ、何をしていいかもよくわからず準備をし、教室に立った。自分を見定められているような気がして、なかなか学生の顔が見られなかった。


Q 4:日本語教員として今までで一番やりがいを感じた出来事は何でしたか。

中国の大学での3年目、学生からの評価が日本人教師内でトップタイだったこと。初年度はワーストで、次年度の契約ができるかどうかも分からなかったので、学生にも大学にも存在を認めてもらったように感じた。

Q 5:日本語教員として今までで一番の失敗は何でしたか。

日本語学校時代、クラス、コースのマネジメントが思うようにできず、いろいろな先生方に迷惑をかけ、その学校を辞めたこと。

 

Q 6:日本語教員としてのあなたにとって、誰との出会いが一番大きかったですか。その人との出会いについて聞かせてください。

大学の同期。日本語学科卒だが、日本語教員を続けている人は少ない。それだけに、生き残りとしてやっていく姿を見てほしいと思う。


Q 7:日本語教員を辞めようと思ったことはありますか。あるとすれば、そのきっかけは何でしたか。

日本語学校の教務主任をしていた時に、別に授業をしていなくても学生や組織の役に立てることはあるんじゃないか、日本語教員という職にこだわらないという選択肢もあるのではないか、と思ったことがある。


Q 8:日本語教員として職場を替えたことがある場合、今の職場に転職しようと思ったきっかけは何でしたか。

いろいろな日本語教員の姿を見て、この世界で評価されるためには、日本語教員としての自分に付加価値が必要だと思ったこと。


Q 9:日本語教員として最近成長を感じたできごとは何でしたか。

留学生別科のコースデザインを任せてもらったこと。スムーズにできているわけではないが、対応力などは以前に転職した時より上がっているように感じる。


Q10:日本語教員として最近未熟さを感じたできごとは何でしたか。

大きい組織なので、なかなか自分に情報が回ってこないこと。日本語教員としての自分の役目、技能、立場などをアピールすることができていないと感じている。

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